意識とは何でしょうか?
私は、
「意志氣」:意志を八方に発する事
として捉えているのが、今日この頃です。
さて、
どのように捉えているのかと言えば
「意」と「識」にそれぞれ分けて考えていきました。
「意」という字から、「意思」「意志」という言葉が連想されます。
それぞれの意味は、
意思:考えや思い
意志:成し遂げようとする心
一方、
「識」という字の中には、
「言(ことば)」と「音(おと)」という字が含まれていることから、
「ことば」は「言語」、「おと」は「音声」として考えると、
言語(ことば)というのは、
・文法:法則
・文字:図形(表音文字、表意文字)、目で見る、書く
音声(おと)というのは、
・振動:口から発し、耳で受ける
・言語:文字のないことば
つまり、「言(ことば)」と「音(おと)」とは、
五感の脳機能、視覚・聴覚などを駆使することの現れです。
識は、脳機能が中心。
これは、「考え」も同じです。考えとは思考すること。
完全に脳を駆使したものとなります。
そして、意から意志、意思ということばを拡げましたが、
意思とは、「考えや思い」という意味でした。
「考え」は思考という脳機能であり、「思い」も脳機能であると定義します。
「思い」について、
聖書のピリピ書4章6~7節※aから考察してみると、
7節に「心と思い」とあります。
・心とは?
・思いとは?
英語では「hearts and minds」
・心:hearts
・思い:minds
思いとは、マインドです。
マインドコントロールという言葉がありますが、どこに影響をうけるのでしょうか?
脳です。
マインドコントロール、
つまり洗脳であると私たちはすぐに連想、認識できるように、
思い/マインドは、
脳機能を使用することの表れです。
6節では、
「祈りと願い」によってとあります。
7節の「心と思い」に対比させてみると
6節 | 祈り prayer | 願い supplication |
7節 | 心 hearts | 思い minds |
お願いする事(内容)は、思いという脳を使います。
一方、
祈りとは、心をもってする事
祈りとは、言語や思考ではないという事です。
心とは、一体、私たちのどこにあるのでしょう?
hearts(ハーツ)、別のことばで言うならば、それは
心臓(heart)
そしてハート(♡)でもあります。
「心(しん)の臓」とも言いますが、
臓器という体の一部分、その中に心が宿っているのではないでしょうか。
※心臓移植した後、移植者の記憶が現れるという症例が多くあるとの事です
また、各臓器は細胞から成り立っているため、心臓だけでなく、他の臓器にも心は宿っていると考えるなら
特に腹部の臓器にも深い意味が見いだせます。
腹(はら)という「ことば」に、おもしろい事例がたくさん見いだせます。
・腹切り:ここを割腹することでの深い意義
・腹が座っている、腹が立つ等の表現による、全人格性の表れ
ここまでをまとめると
ことばの意味 | 機能を使う体の部分 | |
意思 | 考えや思い | 脳 |
意志 | 成し遂げようとする心 | (心臓、細胞、ハラ)? |
さて、意識という文字であらわす単語、
その文字が表している意味は、「意思」であり、
脳機能を駆使した意識(イシキ)という事が言えます。
では、「意志」を意味するイシキとは?
それが、意志氣。
「氣」とは、
八方に広がっている形の「米」という文字が含まれているように、
体全体を通して、その心意氣を発している様がうかがえます。
意志とは、成し遂げようとする心
成し遂げるものは、頭で考えた事ではなく、体全体を通じた全人格をもって発していくものです。
だからこそ、わたしは、
「意識」だけでなく、
「意志氣」
としていきたい、今日この頃なのです。
意という氣ですね!
以上!
※a
ピリピ4章6節~7節
『4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』
4:6 Be anxious for nothing, but in everything by prayer and supplication, with thanksgiving, let your requests be made known to God;
4:7 and the peace of God, which surpasses all understanding, will guard your hearts and minds through Christ Jesus.
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